ペンシーブ

傾向と対策、目標設定、失敗を許す、頭の中のぐちゃぐちゃ

スーサイドキングが来月出る

私でも知ってるレベルの役者?俳優?がスーサイドしたとかで結構知ったときショックだったんだが、私は人生詰んでもなんとなく生きてるのに彼に何があったんだろう。生き方考えさせられる。私らはストレス抱えて死にそうになるくらいなら仕事辞めたらいいけど、芸能界って本当に追い詰められて休みたくても撮影とか契約とかで休んだりやめたりするの大変そうですもんね。

 

聴いてるpodcastで100万でなんでも叶うなら何がいいかみたいなメッセージテーマで

 

寿命がわかるなら知りたいみたいな話題があって

仮にその結果3年後に確実に死にますって判明したら生き方、時間の使い方、金銭感覚、家族友人他人への接し方全て変わりますよね。

 

まじで70歳くらいまで生きられる想定で対して楽しくもない惰性でやっちゃうパワプロのサクサクセスでデブスに苛ついたりしてるけど3年後に死ぬならもっと旅行とか、趣味に全力で金ぶち込むわ。コピルアクが出てくる映画なんだっけ?あの2人みたいな死ぬまでに限られた時間にやりたかったことやっときたいよね。

 

好きな服着て好きな髪型にして好きな場所で人の目を気にせず過ごして誰にも気を使わず自分を幸せにするためにいよいよ死ぬときに後悔で泣かないように生きるには一度死にそうになる体験をするか、自分の寿命を知るくらいしないと人間って変わらない気がする。死んだら終わりだから。頭ではわかってても人間は失って初めて気付く生き物だから。

 

なんにしろ生きてるうちに足掻くしかない。

 

同番組で100万で死んだじいちゃんと1日話したいみたいな人もいたけど、じいちゃん死んだときにもっと話しとけば良かったなあって二度と叶わないことがじいちゃんの遺体の顔を見て実感して後悔とかいろいろの涙を流すという体験私もしてるんですが、

 

死んだら価値が上がるものって自分の中で全く信用してない。死んだらあの人凄かったよなとか急に褒め称える今のネットの空気感も嫌いだし、じいちゃんも生きてる間に大して話さなかったのはそれほどその対話に価値を感じてなかったからだと自覚があるので、もうできない、叶わないことで評価や価値が上がる作品とかも意味わからんなと勝手に思ってる。

 

死ぬ前にほんとに好きなら話したり、気持ちを伝える方がいいし死んでからの綺麗事は無価値、なんの意味もない。

 

VELTPUNCHの新アルバムが来月出るので楽しみにまずは来月まで生きます。

 

たった一度与えられた命はチャンスだから、僕自身を勝ち得るため、今日も頑張ろう

 

私の